日本民として、どっちに属すか、天国か、地獄か

もし、基督様を信じたい、信じて居ると思って居る人が偶像、世、右派国家に対して闘って居無いならば、その人の信仰は、幼稚な儘。何年、何十年教会に通って居ても、此の闘いをして居無いならば、其の人は、基督教と云う見栄えの良い商品を金を出して買って居る買い物趣味の人と云え無いだろうか。残念ながら、大切な物は金では買え無い。
特に日本人の場合は使命が課せられて居るから。
反戦平和の為に努力すると云う事の。


此の事を分かり難くして居る原因の一つが、日本の聖書の訳し方。
主に英米訳を簡易的に日本語に直しただけの様に書かれて居る。
聖書の中身としての神髄に触れて無い。例えば馬鹿の一つ覚えの様に「姦淫」を非常に多く用いる日本語訳と英米訳。これは、今どきに言い換えるならば、偶像崇拝、邪神崇拝と書き直しても良いくらいの物だ。
英米はメイソンが凡て支配する国家で、聖書に於いても、其の意向が深く秘められて居る。
英米は、特に日本に偶像崇拝=国家崇拝から離れて欲しく無いのだから。
米国米軍の肩代わりと成って、謀略や戦争等で、メイソンの手足と成って活動し続けてもらいたいのだ。



商品化され、綺麗に陳列された教会。
良い子ブリッコの八方美人的な、表面重視の都会的な拠所としての休憩所?
既に、神殿は廃止され、一人一人の信仰者の心の中に、御神の国を建てる事が求められることが新約=新しい契約の始まり。
心の中に、いつも十戒を。=偶像邪神崇拝をし無い。
そして、聖書を食べよう。=(良く読んで理解しよう)
御神は、そうする者の心に懇ろ(ねんごろ)に語り掛け始めて下さる。
ヘブル書九章九節後半。「此れ(幕屋)に順って(したがって)奉げる(ささげる)供え物と犠牲とは、礼拝を成す者の良心を全うする事能わざりき。」

純粋とは、偶像崇拝(邪神崇拝)を、し無い事

日本は明治政府以降、極右翼国家と成り、現人神と名乗る者が神道国家として民を奴隷化。強制的な其の為の洗脳を民に強要。
最初、基督信仰者を物凄く弾圧、拷問致死、迫害、獄門苦に幽閉等し続けた。
外国からの圧力で、其の後、此の弾圧は弛められた。
しかし、日本民への洗脳は厳しく続けられた。奴隷化=皇民化政策、臣民として、日本兵として教練された。神社崇拝、廃仏毀釈。国家崇拝。
今現在も、国家崇拝を強要、君が代日の丸礼拝。
偶像崇拝する者の精神は堕落し続ける。其れは大いなる罪だから、地獄に行く以外無い。

聖書全体を通して語られて居るのは、偶像崇拝との闘いと云ってしまっても過言では無い。
右翼国家=反社会主義国家=極右翼=帝国主義国家を礼拝崇拝する事は、邪神崇拝其の物。


大東亜戦争等で世界の民を数千万殺害殺傷し、日本民を間接直接に四百万人惨めな死に追い遣った大日本帝国。
次回投稿は、現在の日本についての予定。

ヨハネ第一の手紙五章

三節。
(御神の子供達として新生して居る)私達が御神の御誡命御戒律を保守守護する様に導かれる事が、御神の御愛であるからなのだ。
これらの御戒律御誡命は、それ自体は暴虐な苦しい物では無い。
四節。
御神に由り新生し、其の子と成って居る者は、凡そ(おおよそ)俗世を克服する。
世に打ち勝って居る勝利者にする元は、我等の御神への忠実、貞潔である。


しかし自分の毎日に十字架を背負って無い、野放図(勝手気まま)に世的に生きる事は、神様から愛されて無い事。
日本の凡てのテレビラジオ全マスコミは悪魔側の洗脳機関であるので、それらを愛着する事も世俗への愛。


マタイ十章十六節の様に、蛇の様に賢く、鳩の様に、純粋貞潔である事こそ信仰者に相応しい。


申命記30章前後を読むと、何と、あのモーセは百弐拾歳迄生きて居たと云うのだから、驚きで有る。
モーセが民の為に十戒を御神から与えられて、民に厳守する様に求めたけれど、
民の心は、上の空だった。そして、それから先の事を御神は語られて居る。
誰でも、御神に対して、幼子の様に純粋で貞潔で無いならば、天国には、入れ無いと主は、言われる。
私利私欲に生きる大人では、入れ無いし、射利心や射幸心は、御神に敵対する。