旧約文書のエレミヤ書の後代の大加筆ヘブル語訳物

ギリシャ語で書かれた旧約文書集七十人訳が完成して世界に広まり出したのは、紀元前二世紀と云う。
それは、当時のヘブル語旧約文書集を原典として忠実に翻訳されたレベルの高い質の文書集で有った。
一方、ヘブル語旧約文書集が完成したのは、紀元後一世紀以降だと云われて居る。
ヘブル語は、当時死語に近い物で、一般人の間では、通用して無かった。救い主もアラム語を話された。
ヘブル語は学者とかが使う専門の言葉だったのだろう。
しかし、アラム語とヘブル語は、親戚の様な物だろうけど。
ギリシャ語の七十人訳が急速に世界に広まった後も、猶太人は、ヘブル語旧約文集の偽文加筆、編集、等を行って居たと推測される。
決定的なのは、エレミヤ書に於ける、ギリシャ語訳の七十人訳とヘブル語の方との二つの違いが、とても大きい事だ。
ヘブル語の方が七十人訳よりも、二千七百語も多い。(注解書によると、Fギーゼブレヒト)


七十人訳には無い部分は、(後代に加筆された)
ヘブル語の方の、二十七章十九節から二十二節。
        三十三章十四節から二十六節。
        三十九章の三節から一四節。
        四八章の四五節から四七節。
明らかに後代に作文して加えられたと思われる一番目。
三番目は、次の節との繋がり具合がおかしい。


其の他にも、この二つの対立は、二五章以降の章の順番が、相当違ってしまって居る事は、決定的にヘブル語の方が、後から編集されたからで有ると見ざるを得ない。
そして、ギリシャ語七十人訳に有る約百語がヘブル語エレミヤ書に無いと云う。


最初の七章二十二節で、御神が全く否定されて居られる燔祭等と犠牲等の事を、
三十三章18節では、燔祭、素祭、犠牲を献じる人が絶える事が無いと、全く反対の事が、加筆されて居る。これは、猶太人気質の執念深さと傲慢を表して居る。
その気質は、英米等の宗教に伝承されて居る。傲慢さ、暴力、歴史改竄。自分達の美化。


猶太人の意味、今昔


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昔昔、猶太人と云えば、主なる御神の本当の誡律を護る人の事を云ったが、
それは、もう過ぎ去ってしまった遠い遠い過去の事。


実際猶太には、中世期に背乗り移民されて、コーカサスの遊牧民が大量に移民して来て、元の住民は、極極少数民に成ってしまって居る。
改宗すれば猶太人に成れたからで有る。
更に、第二次世界大戦後に欧州、ドイツ等に居た猶太系の大量の人々がイギリス大英帝国等の援護の下にイスラエル建国の為に、其の地に移民させられた。




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見よ、此れ等の様に御神は、言われる。(エレミヤ書)

エレミヤ書七章二十一節と二十二節。


見よ、これ等の様に御神は言われる。
汝等の諸々の燔祭を汝等の供物等と生贄等と共に寄せ集めて、そして諸々の肉を食べてしまうが良い。
何故なら、私が汝等の先祖達を彼等が奴隷であったエジプトの地から導き上った日に於いて彼等に諸々の燔祭と諸々の供物と生贄に関して私は、汝等の祖先に対して命令も指令もした事が無いし、告げ知らせもした事等無いからだ。




これは、御神が祭司律法と呼ばれて居る犠牲の儀式に関して、民に指示命令された事が無いと云う事で、旧約の中でモーセ五書の祭儀に関する書かれて居る多くの部分が偽物だと云う事。
先祖から伝わったとされて居る伝承が偽の伝承、人が作った言い伝えを御神の物と偽証して居る事。
祭司達の欲しい物を無知な民から、只で祭司達が手に入れる為の嘘と云う事。
だから当然、十分の一献金も根拠は、祭司の作り話と云う事に成ってしまう。



二十三節。
ただ、私は、此の誡命を彼等に与えて言った。「私の聲に聴き従いなさい。そうすれば、私は、汝等の神と成り、汝等は、私の民と成る。私が汝等に命じる凡ての道を歩んで、幸いを得なさい。」と。



罪が赦される有料会員制(毎月の十一献金)免罪符等の都合の良い物等有る訳が無い。
金で天国は買え無い。



七章四節
汝等は、「これは、主の神殿だ、主の神殿だ、主の神殿だ」と云う偽りの言葉を頼みにしてはならない。