此の世と来世では、確実に地位の大逆転が起きる。

例えば、金持ちが地獄で永遠に火焔に焼かれて苦しみ、極貧の可哀相な人が天国に入って、安らかに永遠の生命を享受する場面が聖書に書かれて居る。
聖書の多くの場所で金持ちが天国に入るのは、非常に困難で有ると書かれて居る。


第一コリント一章二十七節~
それだのに、おん天帝様は、知者を辱しめる為に、此の世の愚かな者を選び出し、強い者を辱しめる為に、此の世の弱い者を選び出し、有力な者を無力にする為に、此の世で、身分の低い者や、軽んじられて居る者、即ち、無きに等しい者を敢えて選び出されたので有る。
それは、どんな人間でも、おん天帝様のおん前に、誇る事が無い為で有る。汝等が基督イエス様に在るのは、おん天帝様に由るので有る。
基督様はおん天帝様に立てられて、我等私達の知恵と成り、義と聖と贖い(あがない)とに成られたので有る。
それは、「誇る者は主を誇れ」(エレミヤ9;24)と書いて有る通りで有る。


↗これは、私が神と云う言葉の替わりにおん天帝様と云う言葉を使った市販の口語訳。
しかし、文語訳では、28節は、少し意味が重い、口語訳は、意味が軽すぎる。
文語訳⇒有る者を亡(滅ぼ)さんとて、世の卑しき者、軽んじらるる者、即ち無きが如き者を選び給えり。


意味は、此の世の今の有力な者達、今の裕福な者達、今傲慢な者達等を取り除く(滅ぼす、廃止する、廃棄する、消滅させる)為に、此の世に於いて、つつましい者達、謙遜な者達、見下されて居る者達、貶められて(おとしめられて)居る者達、侮蔑されて居る者達、なおざりにされて居る者達、即ち、今無きが如き者達を神様は、御神の御働きの為に選び取り給うた。