ルターに由ると旧約の最も期末の書と云われる書物を見る

それは、ギリシャ語では「ΕΚΚΛΗΣΙΑΣΤΗΣ」エクレシアステースと呼ばれる書で、エクレシアは、皆さまご存じの呼び集められた者の群れ=信者集団。召喚を受けた者や自発的に信仰を持とうとした者達の集合体。
又、歴史的に「民会」の意味で使われて居るギリシャ語。
元のヘブル語は「コーヘレス」で集会で発言説諭する人の意らしい。
まことに旧約を締め括るに相応しい内容で有る。
神様を恐れ、其の御命令を守る事が、凡ての人の本分で有る。(十二章十三節)
神様の御言葉を食べ(良く勉強して理解し)、神様からの「靈的な命」の清水を頂くのが至福だとの意味だろう。


八章五節;
御命令訓令戒律を守護守って居る人は有害邪悪不信仰な事柄事態を知らず(味合わず)に済む。
そして其の者の賢明機敏な良心知性知力理知は、試練、正義の執行、裁判、判決の機会、運命づけられた時を理解識別する。


八章三節
早まりて、王の前を去る事勿れ(なかれ)。彼は凡て其の好む所を為せばなり。
この三節で口語訳では、(8:3事が悪い時は、王の前を去れ、ためらうな。彼はすべてその好むところをなすからである)と成って居る。この訳は、変だ。英語訳でもBe not hasty と成って居るので、この書を口語訳に訳した人は、相当慌てて訳して居たに違い無い。
商業システム出版目的に訳すとは、いろいろ省いてしまう事ばかり。


八章一節
誰が賢明、利口、機敏等等を理解して居るか、誰が、約束、宣言、予言指図の失効を知って居るか。人の理智は、其の人の人格存在容貌を照らし、精神的に啓発する、
しかし、冷やか、冷淡、慎みの無い、不謹慎な人格は忌み嫌われる、憎まれる。
一節でも口語訳は、おかしい。でも旧約を訳す事は、確かに難しい。
↙口語訳
8:1だれが知者のようになり得よう。
だれが事の意義を知り得よう。
人の知恵はその人の顔を輝かせ、
またその粗暴な顔を変える。
八章八節
「霊魂を掌管て(つかさどりて)霊魂を留めうる人あらず 人はその死る日には權力あること無し 、此の戦争には釋放たるる者あらず 又罪惡はこれを行ふ者を救ふことを得せざるなり」

戦争、交戦、闘争の期間には足枷を外す事、遠征は無く、不正直、不誠実不節制放縦放蕩不身持ちは、癒される事が無い。


この書の題名とは、日本語訳では、伝道者の書と成って居て、英語訳の物はECCLESIASTESと成って居る