💮旧約文書の背徳性、其の弐

モーセは、エジプトの文字を知って居ただろうが、他の当時のイスラエル人は、文字を書く事が出来無かっただろう。カナンに定着し始めてから、其の話言葉を取り入れたらしいから、文字で記録に残す事がイスラエルで、始まったのは、カナン生活開始のだいぶ後だろう。
前六世紀(前586年)のエルサレム陥落。
それでも、其の時代、文字を自由に操る人は、ごくごく限られた一部の人で有ったに違い無い。学者とか律法家とかの。
モーセ五書の中に、主の幕屋の実に細かな規定が有り、これは、主がモーセに御命令されたと云う書き方に成って居るのだが、主が、物質的な細部に渡る御命令を細かくモーセに御命令されたとは、とても思える物では無いし、この記事の成立時期がはるか後世の物で有る事も加味して、主の幕屋の細かすぎる規定は空想の話だと、推察する。又、十誡の絶対的御命令に反して、イスラエル人が殺し合いを平気でして居たと云う様々な記事についても、どの程度が事実なのか、話し半分に聞いてもイスラエルとして、罪深い事だ。選ばれた民が殺戮に熱中する民族だったとすれば、ノアの箱舟の時代の百倍以上、御神は、イスラエルの民を征伐なされるはずだ。




ロマ書三章29節~30。
「御神は、只、基督教信仰者民衆のみの御神なるか、又、異邦人民衆の御神ならずや、然り、又、異邦人民衆の神なり。
御神は、唯一にして、割礼有る者を忠実さに由りて義とし、割礼無き者をも、忠実さに由りて義とし給えばなり。」


基督教民衆が何に対して忠実で有る事を求められるかと云えば、十誡に対して厳しく忠実で有る事が求められる。
一方、異邦人民衆には、此の十誡が、未だ十分には、知らされて無いが、人の踏み行うべき道義責任、徳の道、正直に生きる事等、良心に恥じ無い生き方が昔より求められ続けて居る。
一体、猶太人民衆は、此の十誡を、いつ知る様にに成ったのか、七十人訳が出来たのは、前三世紀から前二世紀頃とされて居るから、其の前には、文書として、ヘブル語で書かれた物が有ったと云う事に成るが。旧約が凡て完成したのは、後一世紀と云われても居る。
此の十誡を与えられて居ながら、カナン等の他国人の地に侵入して、殺戮する事は、決して許される物では無い。
十誡を知りながら、大罪を犯すとは、狂人の民族としか云い様が無いから。
昔の猶太人は、プロット作りに非常に長けて居た。
非常に狡猾、老獪であった。
あの自己中心のネヘミヤは、王に対して、先祖の墓を建て直したいと言上したが、建てたのは、巨大な城壁であり、それも、武器を携帯しながら造作した。
猶太戦争で御神の使いのローマ軍に由って、神殿諸共破壊される運命と知って居無かった。
モーセ(アロン)も、御神の前に罪を犯したので、約束の地に、入れ無いと御神に言われた。
無学で粗忽なペテロは、その時未だ、エルサレムでのペンテコステの時に至る迄は、聖霊を豊かに受けて居無かったので、主イエスが限られた少ない弟子を伴われて、山に登られた時に、二人の天の使いと会談された時、ペテロは、其の二人をモーセとエリヤと勘違いした。


マタイ五章17節。
「我、律法、又、豫言者を解体する為に来たれりと思うな。解体する為では無く、却って充填する事の為に、我は、来たので有る」
と主は、言われた。
そして五章の続きは、十誡の深い意味と責任を教えられた。
主が言われた律法とは、十誡を指して居る。
猶太人が自ら、御神を偽証して作った律法の細かい規定は、含まれて居無い。祭司律法とか、御神は、作られて居無い。
内側を聖別しなさいと、御神は言われる。