「旧約書物」の中の違法性、背徳性。其の壱

モーセ五書は、前640から前600年に、おおまかに世に出て来始めたたらしい。形が整い出したのは、エルサレムが前586年にネブガデネザルに由って陥落させられた後、捕囚連行された後後に、ペルシャ王クロスに由ってイスラエル民が帰還を許された後の事になるのかも知れ無い。


旧約には、サムソン(士師記13章~16章) が書かれて居るが、本当の事実なのか、疑わしい。又、他国人の多くの生命を無惨に殺戮したと云う事が、あたかも、英雄の如く書かれて居るのは、酷過ぎる。ダビデも同じ様な殺戮をしたと記されて居る。


ごく大まかに考えれば、旧約文書が世に出る様にまとめられた年代の順序は、古い方から、預言書、詩編等の諸書、そして、モーセ五書だと云う事が、今の時代に判って居るらしい。


色々の嘘、偽りや、人の殺戮を多く含む、旧約の凡ての文書が、「聖」と言える訳が無い。
但し、神様からの本当の豫言の文書(預言書、詩編)や、神様に属する知恵が書かれて居る箴言や、本当の歴史が書いてある物等は、朽ちない不変性を持って居るのは、確かだ。


前515年、エルサレム神殿再建、前445年ネヘミヤが五十二日間で、城壁を再建。



エズラ記八章。
「学者エズラは、此の事の為に、かねて設けた木の台の上に立ったがーー」
エズラが準備して読んだモーセの律法の書の中身は、どういう物だったのか、
安息日について、とても厳しく民に求めて居る事が、たくさん書いてあるが。又、多民族との結婚を厳しく咎めた。
霊的な安息(日)は、天国の事を指すのであって、この世で、「普通の生活をするなと云う事」でも無い事は、後の世が、全く安息日の当時のエズラの規定を無視する事からも判るし、主イエスも必要な善い事をするのは、良い事だと証明された。



十誡から見た、エルサレム神殿。
天に在る、何物の形をも、造作しては、ならない。
ダビデ家は、豫言者の警告を無視して、巨大な宮を造作した。
寺小屋や、民の集会所のとしての、建築物なら善いが、信仰の対象として、真の御神に代えて、祭司等の好む犠牲を献じる対象とした。


祭司たちや、其の支配者達は、其れに仕えて、深い堕落をし、傲慢に陥り続けた。
至高の十の誡律は、一体いつ全部がそろったのか?
モーセも、完全な十誡を知って居無かったのでは、無いだろうか。
訳は、モーセ以下の民衆は、侵入した異国の地で、原住民を殺戮したと伝えられて書かれて居るからである。事実なのか、虚偽なのか。


此の様な旧約の違法性、他国人の権利や、他国人への殺人に関しての人権を無視した、卑怯な考えは、タルムードに受け継がれて生きて居る。
恐るべきタルムードでは、今もなお、イスラエル民以外の他国人、特に、有色の国民を、家畜(ゴイム)と看做し、どんなに卑劣な事、殺戮しても、イスラエル(支配者側連合)の益に成るなら、仕方の無い事だと教える。
これが、NWОの世界支配の基本に成る教え。