至高の十誡

十誡を守ら無い、赤ちゃん信者、赤ちゃん集団
救い主の御名を冒し騙る所業に慣れてしまって落ちて居る。自らの事を「~スティアン」とか云う。
又、自らの集団を~スト教会とか呼ぶ。
主の尊い御名称を妄りに唱えるなと、十誡に書いて有る。
御名を冒す人は、敬虔では無い。
又、知恵に足り無い。


虔と云う漢字の意味は、くそ真面目な心や態度の事。
虔誠や虔恭と云う漢字に現れて居る通り、真面目で礼儀正しい、謹んで恭しくする等の意味。


日本への福音伝達は、主に英米に因って本格的に始められたから、彼等英米人の少々礼儀に欠ける傲慢さも、兼ね合わせて日本に定着してしまった。日本人は、昔は、中国から伝わった思想で、人の中身、其れに対する礼儀を大切にして居たのに。
又、英米のレッドパージ思想、世界征服謀略思想を根底とした、「 προτιθημι 」プロティセーミ(かねてから、予め設計して置く事)に沿って、外面崇拝的、祭儀的、巧言令色主義的な宗教へと導く仕掛けが施されて居る。
それの一つが、上記等の名称の問題で有る。


 主は、言われた。マタイ五章20節。
「我、汝等に言う、汝等の道徳的完全さ、善行、慈悲、憐れみ深い事が、律法学者達やパリサイ人達よりも、更により多く溢れる程で無いならば、汝等は、天国の王領には、入り込め無い事に成る。」


其れでは、信者が自ら自称する場合には、何と云えば適当か。
「十誡忠実者」とでも云うのが良い。
又、其の人達の集団は、「十誡忠実民会」が相応しいのでは、無かろうか。
英語なら、個人は、Decalogist  。集団は、Decalogist democrats 。
しかし、英米支配勢力は、表面的には、どうで有れ、中身が社会主義の集まりには、最強に反対し弾圧する。
そういう民主主義的名称を使う事を、世が改まりでもし無い限り、許可し無いだろう。


第一コリント四章八節。
汝等は、既に満腹で食べ飽きた状態で有る。既に、裕福と化した。我等を差し置きて汝等は、王と化した。
本当に汝等が王で有れば良いのだが。
我等、汝等と共に、王と成って統治する為に。



救い主の尊い御名称を自らに冠する事が上記の様な行為で有る。


黙示録三章十六節~十七。
「斯く熱きにも有らず、冷やかにも有らず、只、生温いが故に、我、汝等を我が口より吐き出ださん。
汝、我は、富めり、乏しき所は無しと云いて、実は、己が悩める者、憐れむべき者、貧しき者、盲目なる者、裸なる者たるを知らざれば、」



イスラエルの民は、其の昔、自らが盲目で有る事を知らず、民族は、消滅に近い形に成った。ユダヤ教は破棄された。
十誡を徹底的に守る事を知ら無かったから。表面的な祭儀にばかり、身を窶(やつ)したから。
今の現代人に強く求められ続けて居るのも、此の至高の十誡を強く深く守る事で有る。人権が破壊されようとする日本だからこそ。