ヘブル人への書簡から

十二章三節
汝等、倦み疲れて心を喪う事なからん為に罪人等の斯く、己に逆らいし事を忍び給える御方を想え。
拙訳では。↙
汝等、熟考して見よ、彼ご自身に敵対反抗する罪深い者達の仕業を耐え忍ばれた、其の様な御方の事を。其れは、汝等が霊的に死な無い為、汝等の霊魂が弱り果ててしまわ無い為である。
此処で、ΨΥΧΗ (プシュケー)=霊魂、が複数形与格で使われて居るが、此のプシュケーが、あの黙示録にも使われて居て、何と、此の世の悪の支配者は、人体(奴隷)と人々の霊魂(プシュケー)も売り買いして居た(居る)と書かれて居る。黙示録十八章十三節の終わり部分に。人体=人身売買は、察しがつくが、人々の霊魂を売り買いしてしまうと云う底知れぬ悪魔性を持つ悪の時代。
もちろん偶像(邪教)=悪魔性を崇拝する事で利益に預りたい罪人は、いつの世にも多い。
サタンが救い主を荒野で試みた時にも、サタンは、自分を拝めば、世の権力と富を与えると救い主を試した。
よく「悪魔に魂を売り渡した」と比喩的に云う、あの事では、無いだろうか。


十二章九節
又、我等の肉体の父は、我等を懲らしめし者なるに、尚、此れを敬えり、況して霊魂の御父に服いて(したがいて)生きる事を為(せ)ざらんや。
十節
其は、肉体の父は、暫くの間、其の心のままに懲らしむる事を為しが、霊魂の御父は、我等を益する為に、其の神聖に与からせんとて懲らしめ給えばなり。


読者の皆さまも、きっと書かれた英語は、理解なさると思うので、英語で書かれて居る聖書から抜き出して見ます。
九節 Moreover the flesh of our fathers we have had (as) those who descipline (us) ,
and we respected (them) , not much rather shall we be in subjection to the Father of 
Spirits , and shall live ?
十節。
For they indeed for a few days accoding to that which seemed good to them disciplined , but He for profit , for (us) to partake of His sanctity .


なぜ英語訳が必要だったかと云うとギリシャ語から訳すのが難しくて、英訳を参考にしたからです。
九節の後半の拙訳、忖度して語彙の補充をした訳↙
私達が自ら毎日、毎時(=必要な機会に)、御霊なる父なる御神に屈伏し、敬い貞実忠実し続ける(心の中で)事(状態)が、(永遠の命に、霊的に)活き続ける事では無いか、いや確実に、そうである。


十節の終わりの[清きに与からせる}と云う様な訳は多いが、ἉΓΙΟΤΗΤΟΣ は、神聖、尊厳、神々(こうごう)しさと云う意味で、「御尊厳や神々しさに与からせる為に」と訳すのが良いと思う。