悪魔崇拝の教会史

既に書いて来た様に基督教会は堕落に堕落を重ね、世俗的な俗物と化した。


改革派と名乗るカルバン派も名声慾に憑り着かれて、真理から遠ざかった。
カルバンは、予定説と云う、議論の対象にすべきで無い物を推し進めた。
全く、名声慾、射幸心、射利心の為に福音の真理に反した事を主張した。


結果は多数の後世の人々を資本、金の奴隷、職業、金儲けのみを大切に邁進する金中心の拝金世界を出現させた。↙ ウィキペディア引用   予定説と資本主義[編集]


「マックス・ヴェーバーは論文「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」の中で、カルヴァン派の予定説が資本主義を発達させた、という論理を提出した。
救済にあずかれるかどうか全く不明であり、現世での善行も意味を持たないとすると、人々は虚無的な思想に陥るほかないように思われる。現世でどう生きようとも救済される者は予め決まっているというのであるなら、快楽にふけるというドラスティックな対応をする者もありうるはずだ。しかし人々は実際には、「全能の神に救われるように予め定められた人間は、禁欲的に天命(ドイツ語で「Beruf」だが、この単語には「職業」という意味もある)を務めて成功する人間のはずである」という思想を持った。そして、自分こそ救済されるべき選ばれた人間であるという証しを得るために、禁欲的に職業に励もうとした。すなわち、暇を惜しんで少しでも多くの仕事をしようとし、その結果増えた収入も享楽目的には使わず更なる仕事のために使おうとした。そしてそのことが結果的に資本主義を発達させた、という論理である。 」


現在日本のカルバン派の流れを継ぐ改革派も堕落の根底の流れを引き継ぎ、今やカトリックとの共同の本を聖典として用いる様だ。そんな事では
全くプロテスタントの精神が無い
今や日本の、世界の基督教会は堕落の極みに有る。
侵略戦争を推進、肯定し、教会として少しも侵略戦争に反対をし無い。
それが白痴で無くて何?



アルミニウスの主張は至極当然な当然の物なのに、
アルミニウスの主張はドルト会議によって公式に退けられた。
西洋の悪の心に囚われた宗教会議の企みで、多くの義が抹殺された
それが、西洋と云う物なのだろう
高く聳える尖塔も慾の果てが無い名声慾を著わして居るのだろう。