花咲か爺の例話

正直さと云う物は、何処から来るのか、其れは、良心に対して忠実な者しか持て無い宝だ。
花咲か爺の話。


https://www.aozora.gr.jp/cards/000329/files/3391.html



正直者と不正直者=欲張り、金銭慾塗れとの対比
不正直=商売慾最優先、金権慾の虜、世の欲



此の花咲か爺の話は、江戸時代中ごろには、存在して居たと云う。
正直者の幸と、其れに対比した不正直者の儚い人生と、其の無惨な結末



此の世の支配者とか勢力は、人を金の慾の生涯「奴隷」として洗脳して、金儲けに従事させ続け、其の上前を、たっぷりと撥ねて搾取する。



哀れな奴隷よ。自分の腹=慾の為に奴隷に成って得る物は何か?
惨めに酷使された後の抜け殻は、焼かれる為に有るのみ。
中身は無い。中身に真実が無いから。





http://www.rock.sannet.ne.jp/hg31cc/parable.html/para6.html
↗ 王子様の婚礼の事
御招待を拒否して金儲けに走る不正直者の金慾の亡者






正直への招待=悔い改め、不正直や罪悪等に対する激しい後悔、痛悔、深い悔恨、良心の呵責、自責の念等に対する「招待」を嫌がって拒否する金銭権慾愛の強い者達。


金銭等を愛するのが悪の根源。真理に背く者に成るから。
後悔は、御神の御助けが無いと出来無い。


ギ語では、改心する事をメタノエオウと云う。
注意深く注視する、心に抱く、悟る、会得する、確実に掴む、受け入れる、とかの意を含む。


商売だらけの此の世界。
本当は正しい宗教も商売の道具として利用する悪人が多い。


正直者は、主に、金を取らずに、慈悲、公平、義、等を追求する。


伝道者の書十二章十三節。
事の帰する所は凡て言われた。即ち、御神を畏れ、其の御命令を守れ。此れは、凡ての人の本分である。
十四節、
御神は凡ての業、並びに凡ての隠れた事を善悪共に裁かれるからである。



高潔、徳の高い、慈善、善良、親切と、其れに対しての悪知恵、狡さ、狡猾、腹黒さ、邪との対比。


悪魔側は、悔い改める事が出来無い。何故なら、悪を誇るのが、悪魔側の性質だから。
悪魔側の耳は「獣」の耳だ。


耳の有る者は、聴くが良い。
今の時代に耳を閉ざすのは、愚か過ぎる。