明治の立派な気骨の有る男、内田魯庵(貢)

明治には、少なからず立派な男達が居た。
内田魯庵と云う人も、其の内の御一人。


慶応四年生まれ、昭和四年没
娯楽主義、功利主義を批判


明治二十五年、ドストエフスキーの「罪と罰」の前半を英語版から翻訳刊行。
1905年にトルストイの「復活」を翻訳
著書に「社会百面相」 「破垣」1901年  「思い出す人々」1925年
等等有り


「俗物根性」(金銭や栄誉を第一に考えようとする気持ちや性質)を批判した
其の著書の中(破垣)等に「不徳漢」(人として守るべき道を外れた男)
其の他の著書に、「変節漢」(節義を変えた奴を軽蔑して云う)、
「社会百面相」の中に「猟官運動」(官職等優位な職等に就こうとして人々が争う事)
等、社会を鋭く見詰めた表現が多い。


又、悪魔の英米傀儡の(明治、大正、昭和)日本政府から著書の発禁処分を度々受ける等の弾圧を受けた。
富み(マモン)崇拝は、下劣な俗物根性の人々に受け継がれて続く。


ヤコブ書五章三節後半。
汝等、此の末の世にありて、なお財を蓄えたり。


「道」と「徳」は、「世」と敵対して居る。
「世」と「友」で居ようとする臆病者は御神に敵対して居る。