前回の私の投稿の補筆

ダニエル書(聖書全体)は、WEB上でも見る事が可能です。
文語訳、口語訳、其の他の訳でも見れます。そのURLは、いづれかの時に。
https://ja.wikisource.org/wiki/ダニエル書(口語訳)

 
三章のに出て来る長さの単位、「キュビト」は、一般的に約45センチメートルです。
だから、金の像の高さが27メートルで、幅が2・7メートルと云う巨像です。
 ちなみに、ギリシャ語から訳した新約聖書のページは、
http://recoveryversion.jp/bible_menu.php

私も未だ見た事が無いけど。

新約聖書写本の誤謬

新約聖書には、数多くの違う種類の写本が有るので、或る写本で、書いて有る事が、他の違う写本では、違う意味で書かれて居る場合も有る。大きな違いは、余り無いけど、書き手の主観が働いて違いが出るので、読む方も、釣られて、書き手の主観で読んでしまう。
例えば、使徒行伝でステパノが猶太人を相手に真実を表明した時。文語訳と口語訳では、十戒をあなた方に( 使徒行伝七章38節 )と成って居るが、最近の商業目的聖書の訳では、英米流に成って居て、それ(十戒)を私達にと、違った訳と成って居る。採用した写本の種類が違うからである。
私は古い訳の写本が正しいと思う。ステパノは、多分にギリシャ人と見られて居るからである。
ステパノと云う呼び名の意味は、冠と云う意味。金髪が金の冠の様に見えたからでは無いかと想う。
他にも、ロマ書13章の冒頭の様に、権威とは、何か?と読む人を混乱させる内容が書かれてあるが、これは、六割くらいの確率で、すぐ後の教父が挿入したのでは無いかと想う。
ローマの大弾圧下に居たパウロが、権威に対して、胡麻をする可能性も有るかも。
ただ、信仰者にとっての権威とは、十戒以外に無い。
偶像崇拝、金の巨像を拝む様に命令した異邦人の皇帝に旧約の時代から、信仰者は、命を掛けて、それを拒否した。( ダニエル書第三章 参照)
この様に、偶像崇拝を強く拒否するのが伝統なので、右翼国家の権力(一種の偶像)を崇拝する等考えられる事では無い。
しかし、英米流では、権威を支配者と理解し、国家支配者の命令に従えと指示して居る?。
右翼国家での支配等と云う物は大金目的で動いて居る俗物。
大金をばら撒いて、支配を強化し、選挙も如何様遣りたい放題が今の時代。
主は、死人の始末は死人に任せよと云われた。霊的に死んで居る俗人俗物が支配力の頂点を形成する世の中。
夢を、ネブガデネザルがどんな夢を見たかを云わ無いままでも、解き明かしされる御神は、素晴らしい。

御神から祝福された者達=平和を作る者達、其の人達は~

マタイ5章9~10節


平和を作る人達は、御神から祝福された人達。だから、此の人達は、神様の子として召喚される。
義、公正、廉直への忠実さの為に迫害を受けて居る人達は、御神から祝福された人達。
天国の領土は、此の人達の為に有る。
(廉直とは、私欲が無く、正直な事。心が清く、まっすぐな事。類語は、高潔、純粋清廉、廉節)


日本にも明治大正昭和時代に偶像悪魔𡈁日本に対して、真剣に堂々と意見を述べる高潔高尚な志士達が沢山居た。
志士とは、身を犠牲にして、国や社会の為に尽くそうと云う高い志を持ってる人。
しかし、この志士達は、酷い弾圧を𡈁家の番犬達から受け続けた。
拷問に因って殺害された人も数多い。
これらの人々は、ほぼ信仰を公言し無い人ばかりで有った。
中には、信仰者も弾圧された人も多かったかも知れ無いが、有名な人は見かけ無い。
何十万人と云う人達を番犬は検挙拘束連行した。
殺された人も多かった。


反戦平和は大切である。特に日本の場合は、日本人の使命の一つである。
自分で自分をクリスチャンと自称する様な、外部、見掛けの表面的ラベルで、生活する人は、どんな義を持って居るのだろう。其の人は、将来天国に入れる資格が有るのだろうか。

↗築地署特高主任水谷警部補
こいつが、彼の高潔な志士の小林多喜二を拷問殺害した狂犬の一人



上記の画像の様に、SNSの世界、ツィツター、インターネット上に現れるCМ類、などあらゆる所に金で雇われて、世俗権力崇拝への入り口に入らせる作戦が罠として仕掛けられて居る。洗脳目的。又、世俗権力側が大多数派で有る事に見せ掛けようと文章乱発、表示件数を日に日に増し加える作戦。